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妻の面影

 二十世紀が終わる。西暦2000年はミレニアムという言葉が流行り、それが単なる暦であっても、まるで特別な年であるかのように世間は浮かれていた。その年の桜は、4月3日に花吹雪のピークを迎えた。忘れはしない。その日が家内の命日になったからだ。桜の花がいっせいに散る風の中、閉ざされた病室の中で時は止まり、僕は医者が妻の臨終を告げる声を聞いた。時が再び動き出したのは、病院を後にして、見あげる空の中に桜の花がそのいのちを終え、ひらひらとちぢに舞い乱れるのを仰いだ時だった蟲草Cs4
 僕はまだ42歳だった。仕事においても、自信にあふれ、怖いものなど何もなく、僕は人生のピークを迎えていた。伴侶を失うということなどあり得ないことであり、とうてい受け入れがたい現実である年齢だったのだ。42歳という齢は。
 釈尊は人生は苦しみであるという。肉体という不自由な物質世界に宿ることも、老いて自由を失っていくことも、病によって生命活動に支障をきたすことも、そしていつか自分がこの世を去るということも。
 さらに釈尊は避けることのできない苦しみがあるという。愛する者とは別れ、人との関係において憎しみを抱き、求めるものは得られない、さらには肉体煩悩は理性に抗って止むことがない。
 よくもまあ、ここまでシニカルに人生を透徹して凝視するものだと思わざるを得ない蟲草Cs4
 愛別離苦――どんな愛しいものでも別れがある。その言葉は僕には抗えない冷徹さを感じさせる。しかし、もしあのときその言葉が僕を優しく慰めていたら、僕は自分に負けて立ち上がれなかったかもしれない。家内が亡くなった後に刻まれる時が、優しい感情を持って僕に接していたら、僕は「あの時」から動くことができなかっただろうとも思えるのだ。僕はオプティミスト(楽観主義者)ではない。かといって、ペシミスト(悲観主義者)とも言いたくはない。その42歳からの歳月を刻む中で、ある意味、リアリストにならざるを得なかった(しかし、僕はその言葉に安易に「現実主義者」という日本語を充てたくもないのだ)。現実を静かに見つめ、あるがままに受け入れていくしかなかったのだ。
 僕が29歳、家内は30歳、僕らは尼崎で結婚式を挙げた。高校時代は陸上でもっともハードといわれる400mで、近畿5位の記録を持っているような強靭な女性だった。しかし、選手時代の無理がたたり、出会った時には、日常生活にも支障をきたすぐらい、膝がボロボロにやられていた。神戸の三宮に呼び出し、結婚を申し込んだときに、彼女は一瞬、黙った後、落ち着いた声で
 「一生動けなくなるかもしれない人間の気持ち、根岸さん、わかりますか」
 と言った。僕は、彼女が何を言い出したのかよくわからなかった。しかし、その言葉を反芻するうちに、それが彼女の心の中を支配している現実の不安であることを悟った。一生、結婚もせずに一人で生きて行こうとしている覚悟の中に、僕が土足で上がり込んできたのだ。それは、「簡単に言わないでよ」という彼女の抵抗であっただろうし、土足で心の中に踏み込んできた僕に対する試しでもあったのだろう蟲草Cs4
 僕はまず彼女に対して自分という人間を明らかにせざるをなかった。当時、大阪で支局記者をしていた僕は数冊のスクラップブックを彼女に見せた。その頃の僕はまだ社会正義という言葉を実現することにヒューマニズムを感じ、それに陶酔できる若者だった。自分は常に弱者の側に立ち、強者がすべて悪に見えるような錯覚をしていたのだ。しかし、彼女の前に立った時、僕の理想はずいぶんと薄っぺらいものに見えて仕方がなかった。彼女の問いに対して何て答えたらウソのない自分でいられるのだろうか。
 「あなたの気持ちはわかる」なんて言ったら偽善者にしか見えない。僕は無力で頼りない存在であっても、愛する人の前では正直な自分でいたかった。
 「わかるわけないだろう。わからないから、少しでもわかろうとして努力するんじゃないか」
 それは、29歳だった僕の精一杯の正直な答えだった。そのうえで彼女と人生を共にしようと思ったのだ。そして、彼女は初めて自分の人生を僕とともに生き、委ねる決意をしてくれたのだった。
 子供がいなかった分、僕らは濃密な夫婦だった。よく笑い、けんかもし、時に僕が仕事に埋没し、日が変わってから帰宅するようなその時でも、家内は起きて僕の帰りを待っていた。家庭と職場というまったく別の空間にいても彼女は僕のたった一人の同志だった。
 あれから十余年。「あり得ない」42歳から僕も50半ばにさしかかって、そんなことが「あり得る」年齢になった。伴侶との別れが特別なことではない年齢に僕もなった。同時に、僕だけが特別な人生である必要もなくなった。
 彼女と過ごした13年が、短かったのか、長かったのか。思えば、十分に幸せすぎる時を共有したと思えるようにもなった。僕はすべてが過去の出来事になったことを自覚した。過去は風化させなければ、いつまでも苦しみの刷り込みを繰り返すものなのだ。僕の心の中に彼女はまだ生きている。これは消えることはないだろう。僕の歴史の一部だからだ。しかし、僕はもうあの時の悲しみを悲しまない。人生だもの。悲しいことだって辛いことだってある。そんなもの、すべてを僕の人生として背負ってしまえば、あとは前に向かって歩くだけなのだ。愛ですら思い出としてしか残らない。一つの思い出を背負いながら、僕は新しい歴史の一ページを歩いていくのだ。それが僕の等身大の人生と言えるように歩いていくのだ。もっともっと辛いことがあったとしても、僕は飄々と歩いていくのだ。
 それでも――。毎年訪れる春、桜の花が散りゆく姿を眺めていると、胸がかすかに疼くのはなぜなのだろう。
by kuxiaozhe | 2016-08-25 11:53